数年後の自分のための感情文

感情をバックアップするんだ

ミュージカル フランケンシュタイン 柱の話をしよう

再演が無事に大千穐楽を迎えましたね。
本当に皆さんお疲れ様でした…。
「初演より気が狂ってないな」と自分では思ってたんですけど別にそんなことなかったっていうかむしろ悪化してたよな…3年の持病が…。

さて。
意図があるとかないとか、考えすぎだとかなんとかはこの際どうでもいい!!!!
解釈じゃなくて都合のいい妄想でしょと言われたらそうだよ私が"そう"受け取ったんだから、ということで、
柱の話をしよう!!!!!!!!!!!

 


▼そもそも「柱」ってなんのこと?


公式ちゃんがアップしていた4ペアの千穐楽お写真、見ましたか?見ましたよね?
そう、これの真ん中のやつです。


柱っていうよりポールじゃん?と思いますが私は「柱」でいきます。


廊下が狭いわけでもなく、ここしか写真撮るスペースがない訳ではないのに、敢えてこんな邪魔な柱を中心にお写真を撮っています。
それは何故か?
意図的に、だと思ったんですよ。

 

 

▼「柱」の概念


それは「断絶」であると捉えています。境界線ともいえる。
どのお写真も二人は柱を挟んでどちらか片方にしかいません。
「そちら側にはいけない」という境界線です。
ビクターと怪物さんは分断されてしまうのです。
同じ場所にはいられない。
柱とは二人を隔てるものです。


【柱】
二人を分かつもの、断絶、世界の境界、消えない隔たり、越えられない一線
神の数え方、万物の根源、天につながる場所、人柱

 

そもそもカテコの話もしておきたいんですが、カテコはビクター・怪物さんともに同じ黒コートを着ています。
これは本編上決してあり得ないことです。
何故ならコートは一つしかないから。
「ビクターが着ている綺麗なコート」か、「怪物さんが着ているボロボロのコート」のどちらかしか存在できないんです。
「もし」が通用しない地平線がカテコの二人だと認識しています。
だからその延長線である柱のお写真も「もしが通用しない存在しない地平線」。
最後にぎゅーっとするのが癒されるカテコだけれど、その上でやっぱり「二人は隔てられている」んですよ。しんどい。

 

私もそんなに詳しい訳じゃないので適当に言いますが、「断絶」を表現する上で中心に何かを置く、というのは割とよくある手法です。
キャラクターの立場の対立、主張の対立なんかを見せるときに二人の間に物を挟んで画面を分断させる演出です。
フランケン本編でやってて印象的なのは、エレンとビクターのお別れのシーン。
この部分です↓

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十字架の影によって二人を分断しています。
演出の板垣さんはもともと映像編集の方なので、そういうの意識されてるのかな、と思います。ごめんなさい適当に言ってます。

 

私は実写よりアニメの方を見てるのですけど、そういう演出結構沢山出てくるので意識すると楽しいです。
「分断された境界を越える」もあるし、「越えられない」もある。そこはもう色々。

 

今回のお写真で言う「柱」は二人の分断と同時に上手(かみて)と下手(しもて)の分断を現しています。
舞台に限らず映像・漫画・その他「見る」作品は上手下手という演出方法が存在しているのは、なんとなくみんな知っているはず。

 

ざっくりいうと、
上手:主人公、優勢、強い
下手:悪役、劣勢、弱い
という感じ。


詳しくはこのへん読んでみてください↓

 https://togetter.com/li/714523

本編だとビクターは上手から登場するし、アンリは下手から登場しますね。
話の流れ的に優勢劣勢が顕著に出てます。

 


という訳で4ペアそれぞれの「柱」と「二人」の関係性解釈をします。
何度も言いますがそこに意図があるとかないとかは言いっこなしだぞ!!!
私は人の数だけ解釈の自由がある王国育ちなので!!!!!!

 

 

▼あきこに

 

こに怪物さんは下手、あきビクは上手です。
あきビクが上手なの分かりすぎる。神の領域だし…。
この解釈5億点。
あきこににおけるビクターと怪物さんの二人は、交じり合わずすれ違い続けます。
あきビクは伸ばされた手に気づけず、怪物さんはその手を取ってもらえない。それでも、伸ばしてしまう。
二人は柱を超えることはできないけれど、こに怪物さんはあきビクへと手を伸ばします。
しかも柱を両側から挟んで抱きしめてる。
「柱」、境界であると同時に「アンリ」の概念でもあると取ります。
決定的に二人を分かつものだけれど、世界の柱。アンリがいなければ世界が存在しない。
彼はアンリを内包しているんです。
そしてあきビクは柱を越えて手を伸ばし返さない。
(恐らく背中側に手を回していると思うけど、写真上は見えないので「ない」です。)
あきビクは自分の領域を出ないんです。他人の機微を察することができないから。
そしてそもそも彼は天才がゆえに自分の高い領域から「降りて」行くことができない。降り方を知らないから。
そんな中、怪物さんが伸ばした手を外側から覆うように触れるのは、1/25の「俺のものだ」の再来に見えてしまうな。


そういう”ふたり”です。

 

 

 

どうですかしんどくなりませんか?こんな感じで行きますよ?

 

 

 


▼かきかず

 

ビクターが下手、そして上手手前に怪物さんというかきかずのお写真。
二人は触れ合いません。
かきかずの柿ビクが一番甘えんぼだなと思っているんですが、その彼が「寄りかかる」先は柱=アンリ です。
柱に手をかけ、寄りかかりはするけれど彼はあくまで「人間」なので上手には行けない。
彼にとって怪物さんは「向こう側」であり「届かない場所」に行ってしまった存在。
そして怪物さんは「アンリ」から少し距離を置いている。
かず怪物さんはアンリの魂が勝つときと怪物さんの魂が勝つときがあると認識していますが、このお写真解釈では怪物さんが勝ったのかもしれない。
何故かずアンリ・怪物さんは柿ビクを置いて「そちら」へ行ってしまうの…。

けどわかりませんなんせかきかず千穐楽観てねえもんよ!!!!!むしろ全部の千穐楽観てないから!!!!!!

 

 


▼かきこに

 

ビクターが上手、怪物さんが下手に来ます。
4つのお写真、怪物さんはそれぞれ同じ位置なのにビクターが変化するの面白くないですか。
こに怪物さんにとって、「ビクター・フランケンシュタイン」は世界の全てなんですよ…。
柿ビクはやはり柱(アンリ)に寄り添い、抱きしめる。
それでも視線が怪物さんへ向いているのは、アンリではなく怪物さんを認めたんだろうか。
頭をなでるその仕草は、怪物さんの中に含まれるアンリなのかもしれないね。

 

ところで、ところで。
和樹さんの上げている「数ある写真の中の1枚」であろう、公式ちゃんがあげなかったお写真。

これ、二人の足がクロスして境界を越えてるんですよまじでか。
ええ…やっぱりかきこに、トゥルーエンドにたどり着いたんじゃん……。

 

 


▼あきかず

 

個人的一番解釈の難しいと思ったお写真。
ビクターが下手、怪物さんが上手です。
まず、「あきビクを下手に置く」配置が結構「え!?」ってなったんですよね。
私の中であきビクって相当「上手」のキャラクターなので。
その上で怪物さんは柱に寄り添います。
かきかずのお写真では柱から距離を置いていたけれど、あきかずでは柱=アンリに寄り添う。
相当レベルアンリの魂が勝ったんじゃなかな、と思える。まぁ観てないんですけど。

 

一旦私の願望解釈ツイートを載せておきますが、あきかずで柱の解釈するならこれだなあと思っていたんですよ。

 


で、ここでまた和樹さんのこちらのお写真見てください。

 

 

柱の”前”で、柱が”ほとんど見えない画角”で、撮ってますね?????
はい、その解釈百万点満点
正直このお写真見たとき柱どころじゃなかったので(なに?これはなにを見せられているの???)改めて見て「柱…」と思った次第です。

 

 

 


なんでそんなに柱に拘ってるのかわかってもらえました?????????????
だってね、撮ろうと思えばこの場所じゃなくても撮れるんですよ。

これとかこれとか、柱じゃないところで撮ってますからね。


そんな中「柱を挟んで」撮ったことに意味がある。少なくとも私の中で。
そういう解釈の話です。

 

いや~~~~~~~~~~~~

限界感情抱えて生きてこっd(ゝc_,▼*)